2015看護ふれあい学研修会のご報告

抱えこまない・あきらめない
ふれあいコミュニケーション実践事例グループセッション

2015年9月17日(木)、恵比寿セミナールームに於いて、看護ふれあい学研修会「実践事例グループセッション」が開催されました。医療・介護現場の方や、看護や介護に関心のある方など、様々な立場の方々が全国各地から一堂に会し、ふれあいコミュニケーションについて学び合いました。

セッションI グループディスカッション

グループディスカッション

「私の介護体験」や「日頃の思い」について、グループに分かれて語り合いました。身内の介護や看取りの経験など、普段なかなか聞くことのできない貴重な話を伺うことができました。いろいろな状況を知ることで、共感し合ったり、新しい取り組みをシェアしたりすることができた有意義な時間でした。

セッションII 能動的な聞き方

能動的な聞き方
  1. 能動的な聞き方 解説&寸劇
  2. ロールプレイ
    事例1
    老人介護施設にて 「全部食べられなかった…」と話しかけてきた利用者さんとの会話
    事例2
    寝たきりの母を叔父が見舞いに来たが、母はあまり話をしなかった…叔父が帰ったあと、母の話を聞く
    事例3
    引っ越しで鬱になった父と、電話でのやりとり

    それぞれの事例を、利用者と介護者、母と娘、父と娘の役になり、能動的な聞き方のロールプレイをしました。能動的な聞き方をしてみると、介護や看護を受ける人の気持ちが整理されていく様子がわかり、受けとめて聞くことの効果を改めて感じました。「大変」「不安」というイメージが大きかった看護や介護ですが、将来について少し心構えができました。

  3. グループでシェア

セッションIII わたしメッセージ

わたしメッセージ 解説
  1. わたしメッセージ 解説&寸劇
  2. ロールプレイ
    事例1
    在宅の介護で 汚れたパジャマを脱ごうとしない認知症の姑へ、洗濯をしたい嫁が伝える
    事例2
    病院にて 骨折の手術後、まだ許可が下りていないのに一人でトイレへ行ってしまう患者へ、看護師が伝える
    事例3
    病院にて 透析の予約日に来院しなかった患者へ、看護師が伝える

    セッションIIと同様、それぞれの役になって、ロールプレイをしました。我慢の看護、自己犠牲の介護ではなく、(相手を責めずに)自分の気持ちを伝える方法があることは、とても心強いと思いました。「患者さんに対し『困った』『大変だ』などとは言えないと思い込んでいたが、言っても大丈夫なんだ…と、気持ちが楽になった」という看護職の方の感想が印象的でした。

  3. グループでシェア

まとめ

看護ふれあい学研究会会長中井喜美子シニアインストラクターより

まとめ

医療・看護の現場では、患者が治療の主役になる取り組みが進んでいる。医療を受ける患者が、自己表現して、自分自身のありようを相手に分かってもらいながら、医療従事者の意見も聞き、話し合った上で、治療方針を患者自身が選んでいくことになる。

その為には、すべての人が、互いに信頼し合い、医療・看護・福祉を提供する側と、積極的にコミュニケーションがとれる能力を身につけておく必要がある。また、介護の現場においても、日本では2021年には2.5人で1人の介護を支えなければいけない時代がやってくる。介護が人間の尊厳に深くつながった生活のケアであるならば、その介護を担う人たちが沢山育つように、自己犠牲ではなく、人を活かし、自分も活かす介護の心と対応を私達が学び、模範を示しながら、手を携えて実践していく必要があるのではないかと思う。

1860年にナイチンゲールによって書かれた「看護覚え書」の中に「この世の中に看護ほど、自分自身は、決して感じたことのない他人の感情のただ中へ自己を投入する能力を必要とする仕事は他に存在しない」「もし、あなたがこの能力を全然持っていないのであれば、あなたは看護から身を退いたほうがよいであろう」とある。しかし、看護ふれあい学のもととなっている親業を開発したトマス・ゴードン博士は、全く素人の親でも、訓練を積めば、誰でも子どものサインに気づき、「自分の感じたことのない」子どもの感情を受容し、共感することができるようになる訓練プログラムを考案された。その点から考えると、「他人の感情のただ中へ自分を投入する能力」を持っている・いないに関わらず、看護に携わる誰もが訓練によって、この能力を身につけられるのだ。身を退く必要はないと言える。

実際に、看護ふれあい学講座を学び、能動的な聞き方の訓練を積んだ看護者が患者の人生の所有権を侵さずに、患者が、自分で、自分の問題を解決していく手助けができるようになって、大きな成果をあげている。ゴードン・メソッドには、自分が困ったり、心配したりしている時、相手を責めたり、「こうした方がいいでしょう」というように相手の判断に踏み込んで、相手に要求や指示をしない自己表現の対応がある。行動・事実を非難がましくなく述べ、何を何故心配しているか、何が何故困るかを伝えるわたしメッセージである。自分の責任で、相手を信頼して伝える本音のメッセージは、患者やスタッフ、医師にも通じることが多いと沢山の事例が物語っている。

その時、大切なのは、自分が「伝えた」ら、今度は相手の抵抗や言い分に耳を傾けて「聞こう」とすることである。もし患者が黙っていたとしても、「こんな思いなんですね」と言葉によらないメッセージから読み取ろうとし、一生懸命にサインの後ろにある思いを理解しようとすることが、両方向のコミュニケーションにつながり、お互いの信頼関係を築き、ひいては、かけがえのない命を活かす喜びをわかちあうことにつながっていく。看護者と患者が人間として互いに活かしあう関係の中で看護・介護ができる具体的な方策がここにあると感じ、私は看護ふれあい学を開発したいと思った次第だ。

この考え方と、ふれあいコミュニケーションのさまざまな具体的な対応法は、医療・看護の現場のみならず、ケアマネージャーをはじめとする介護や福祉の専門職の方々にとっても、家庭介護をする場合やそれぞれが自分自身を生きていく際にも、共通のベースとして、仕事や生き方を楽に、実りあるものにしていくと確信している。

看護・介護する側も時には揺れ動く感情を持ったひとりの人間としての自分を大切にしながら、患者と心を通わせ、お互いを尊重できるコミュニケーションが実現できるよう、今後も看護ふれあい学研修会を継続開催して、講座を学ばれた方が現場で実践された成果や疑問点を出し合い、ご一緒に研鑽を積んで、更に深めていきたい。
最後に、中井喜美子看護ふれあい学研究会会長が総括し、盛会の裡に幕を閉じた。